本屋のバイトやってんだが、カバーを作るときに、トトトトンットトトンットトトンッってやって数枚の紙をそろえているのがZAZEN BOYS「開戦前夜」のアヒト・イナザワのドラムソロのマネだということに気づくものはいまい。
そういうことをやっている阿呆がいたら俺です。
今日びっくりしたこと。
「ジョゼと虎と魚たち」という、観てはいないがなんとなくおしゃれな感じのタイトルの、池脇千鶴と妻武器聡の恋愛映画、あれの原作がなんと、著作「芋たこなんきん」がNHK・朝の連続テレビ小説で絶賛放映中の作家、田辺聖子さんだったのだ。
芋たこなんきん、面白いよね。今日放送分を編集した先週の次回予告で、まるで健次郎が死んで幽霊になって自分を見ているかのようにしたのは憎憎しかったが。
しかし最初は嫌だったよこのドラマ。なんといっても宮崎あおい→藤山直美だ。藤山さんには申し訳ないけど、その落差はフジヤマだけにキツい。10代の男子には特にキツい。
だから最初はまるっきり興味なかったんだけど、つーか興味あっても学校あってみられんけども、なぜか最近観るようになった。
それからは藤山さんの顔を見るのが楽しみでしかたない。たまに眠くて起きられないけど。
俺の好きな役は、純子さん。
とくに、純子さんがやめてしまう話で、「花岡町子略歴」の一番最後に「矢木沢純子に出会う」とあるのを読んだときのいしだあゆみの演技がよかった。まあ泣いてるだけなんだが、よかった。
あの奥ゆかしくも朗らかな感じ、見ていて和むぞ純子さん!
別に俺が熟女好きというわけではない。
ウィキペディアによると、平成三年の徳永亜紀役(メガネの子)はグラビアアイドルの寺田有希だそうだ。
メガネにはいまいちピンとこないが、健次郎の手術中、深刻な徳永家の面々のなかでいきなり可愛い巨乳(でもないかもしれんが、おっさんおばさんばかりの画面になれているとそう見える)が出てきて魂消た。
そんな「芋たこなんきん」も3月31日で放送終了である。まだ観ていない人でぐうたら昼まで寝ているという人は健康と「芋たこなんきん」のために8時16分くらいに起きてください。
2007年03月15日
2007年03月11日
楽天はダメだ。
みんなのキャンパス
楽天の会員になると、大学の情報や教授の評価などを書き込み、閲覧、また掲示板でのやりとりなどができるサイト。
その他、サークルやアルバイト、就活の情報などもやりとりできる。いわばクチコミ系。
また、メモ帳機能や日記機能などがついた専用画面を持つことができる。
この前、法学部だけ一部の科目登録を一足早くやらなければいけないので、急遽、授業評価などを調べようとググりまくっていたところ発見した。
最初いいサイトだと思ったが、前述の通り、楽天のIDが必要であることが判明した。
というのも、〜大学〜学部の授業評価を検索すると、一応検索結果の1ページ目はでるのだが2ページ目を見ようとすると「ここから先は会員登録しろ」という表示が出るのである。
まあ、ID取得くらいは。と思って無料で楽天のIDを取得した。
そんでもう一回、今度はログインして先ほどのように2ページ目をクリック。
そこに出た言葉を見て俺は頭にきた。
「この先は、オススメの授業とその理由を2件、投稿したユーザーだけが閲覧できます。」という表示がでやがった。
正直、ふざけんなと思った。
やり方が汚い。会員登録すれば見られるようなことを言っておきながら、登録するとさらに書き込まないと見られないとぬかしやがる、その根性が汚い。金のやりとりこそないが(あったら大変だよ)、一度言ったことをこんなにたやすく翻すのは悪徳業者か中国、朝鮮のやり方じゃないか。
しかも、前述の表示にはさらに、「みんなのキャンパスは皆さんの力で成り立っております。ご協力をお願いします。」と、まるでこうしなきゃいけないんだから仕方ないだろとでも言うかのような、非常に厚かましいことまで書いてやがる。
なんたる厚かましさ。「会員登録すれば見られるようなことを書きましたが、ウソでした。お願いですから授業評価をしてください。ごめんなさい」とでも書いてあれば、バカにしていることには変わりないがまだ可愛げがある。
それを、わざわざ、こうしなきゃやってけねえよとばかりに正当化しようとするところに、このサイトを作っている会社だか個人だかの浅ましい根性が見て取れる。
そもそも、俺みたいに沸点の低いアホが頭きて、「じゃあ適当なこと書き込んでやるよ」といってテキトーな大学のテキトーな授業をテキトーに評価下してたらどうするんだろ?と、考えるとこのサイトのクチコミ情報の信用性すら疑わしくなってきてしまった。
俺はまだ大学入ってないのだから嫌でも書き込めない。
これから科目登録しようとしている一年どもに情報を提供するのはイヤなのだろうか。というかそういうニーズにこたえるのも重要なんじゃないか?普通。
それに、別にこういうシステムにしなくても書き込みはあるんじゃないだろうかと、俺は思う。最初のうちはどうだかわからないが、沢山の人が集まるサービスなら、自分で評価してみたいと思うヤツはわんさかいるはずである。アマゾンのレビューだってそうじゃん。ブログで偉そうに書評してるヤツ(俺とか)なんてゴマンといるんだからね。
やる気なくした・・・
やっぱ楽天はダメだ。という結論に至らせてくれたことには感謝。ありがとう。
楽天の会員になると、大学の情報や教授の評価などを書き込み、閲覧、また掲示板でのやりとりなどができるサイト。
その他、サークルやアルバイト、就活の情報などもやりとりできる。いわばクチコミ系。
また、メモ帳機能や日記機能などがついた専用画面を持つことができる。
この前、法学部だけ一部の科目登録を一足早くやらなければいけないので、急遽、授業評価などを調べようとググりまくっていたところ発見した。
最初いいサイトだと思ったが、前述の通り、楽天のIDが必要であることが判明した。
というのも、〜大学〜学部の授業評価を検索すると、一応検索結果の1ページ目はでるのだが2ページ目を見ようとすると「ここから先は会員登録しろ」という表示が出るのである。
まあ、ID取得くらいは。と思って無料で楽天のIDを取得した。
そんでもう一回、今度はログインして先ほどのように2ページ目をクリック。
そこに出た言葉を見て俺は頭にきた。
「この先は、オススメの授業とその理由を2件、投稿したユーザーだけが閲覧できます。」という表示がでやがった。
正直、ふざけんなと思った。
やり方が汚い。会員登録すれば見られるようなことを言っておきながら、登録するとさらに書き込まないと見られないとぬかしやがる、その根性が汚い。金のやりとりこそないが(あったら大変だよ)、一度言ったことをこんなにたやすく翻すのは悪徳業者か中国、朝鮮のやり方じゃないか。
しかも、前述の表示にはさらに、「みんなのキャンパスは皆さんの力で成り立っております。ご協力をお願いします。」と、まるでこうしなきゃいけないんだから仕方ないだろとでも言うかのような、非常に厚かましいことまで書いてやがる。
なんたる厚かましさ。「会員登録すれば見られるようなことを書きましたが、ウソでした。お願いですから授業評価をしてください。ごめんなさい」とでも書いてあれば、バカにしていることには変わりないがまだ可愛げがある。
それを、わざわざ、こうしなきゃやってけねえよとばかりに正当化しようとするところに、このサイトを作っている会社だか個人だかの浅ましい根性が見て取れる。
そもそも、俺みたいに沸点の低いアホが頭きて、「じゃあ適当なこと書き込んでやるよ」といってテキトーな大学のテキトーな授業をテキトーに評価下してたらどうするんだろ?と、考えるとこのサイトのクチコミ情報の信用性すら疑わしくなってきてしまった。
俺はまだ大学入ってないのだから嫌でも書き込めない。
これから科目登録しようとしている一年どもに情報を提供するのはイヤなのだろうか。というかそういうニーズにこたえるのも重要なんじゃないか?普通。
それに、別にこういうシステムにしなくても書き込みはあるんじゃないだろうかと、俺は思う。最初のうちはどうだかわからないが、沢山の人が集まるサービスなら、自分で評価してみたいと思うヤツはわんさかいるはずである。アマゾンのレビューだってそうじゃん。ブログで偉そうに書評してるヤツ(俺とか)なんてゴマンといるんだからね。
やる気なくした・・・
やっぱ楽天はダメだ。という結論に至らせてくれたことには感謝。ありがとう。
2007年02月28日
君が代合憲。お疲れサヨク
君が代伴奏の命令は、合憲だってさ。
君が代伴奏命令、合憲 最高裁初判断、思想強制と言えず(YOMIURI ONLINE)
前から言ってるけど、教師であるからには、定められたやり方で式典を成功させることに尽力すべき。自分がどう思っているかは別として、決められた仕事はきっちりやる。そういう姿を生徒に見せることも教師の重要な仕事だと前々から俺は思っている。「思想・良心の自由」とカッコつけて、内実は駄々をこねて仕事をさぼっているにすぎない教師がマトモな生徒を育てることができるだろうか。
この件は入学式だったらしいが、卒業式ならなお悲惨だ。なんで自分らの卒業式のときだけ、こんな騒ぎになるのか、とめでたいムードも減退。可哀相な話となってしまう。
しかし、読売新聞のインタビューで、「テープで流すということもできたはず」というコメントしている教師もいた。それはうなづける。俺からすれば、過去の侵略がどうのと化石みたいな言説を垂れ流しとるのはバカバカしいが、十人十色、そういうへんな思想を持っている人に対する思いやりがあってもいいし、それで式典が滞りなく進むなら懸命な方法かもしれない。(うちの中学はテープだったな。)
何度も言うが、小・中の教師は、右も左も、特定の思想を植えつけたり、偏ったものの見方をさせるような教育はしないでほしい。とくに歴史。今でも紛糾していて議論が絶えないのだから、そうしたことだけでも、授業の際に児童・生徒に伝えてほしい。中国の言うとおりの人数が南京で虐殺されたのか?在日朝鮮人の1世はみな強制連行?大東亜戦争によってアジアにメリットは一つもなかった?
それぞれ意見が違うだろう。十分物事を考えられるようになってから、自分でじっくり調べ、勉強して、考えて、どの意見が正しいと思うか決めればよい。
俺が小学生だったころの教師には、「私はこう思う。しかし、こういう意見もある。皆さんも興味を持って調べてほしい」と教えてほしかった。君が代も同じ。
そういう、様々な意見が未だ存在する「世界」を見せもしないで、さも真理かのように偏った言説を子どもの頭に叩き込むこと・・・これこそ、思想・良心の自由を侵害していることにならないだろうか。
君が代伴奏命令、合憲 最高裁初判断、思想強制と言えず(YOMIURI ONLINE)
多数意見はまず、ピアノ伴奏を拒否する教諭の考えを、「歴史観や世界観、社会生活上の信念」と位置づけた上で、職務命令で伴奏を命じても、この考えを否定することにはならないと指摘。さらに、ピアノ伴奏は、「音楽教諭にとって通常想定された行為」に過ぎないとし、それを命じる職務命令が、「特定の思想を持つことを強制したり、特定の思想の有無を告白することを強要したりするものではなく、児童に一方的な思想を教え込むことを強制することにもならない」と述べた。どんな組織にバックアップしてもらってんだか知らないけど、サヨク教師さん、最高裁で負けるためにお金と時間つぎ込んでご苦労なこってしたね。
また、判決は、「公務員は全体の奉仕者」と規定した憲法15条や地方公務員法を踏まえ、教諭には上司の職務命令に従う義務があるとし、ピアノ伴奏による国歌斉唱は学習指導要領の規定にもかなうことから、「職務命令は不合理とは言えない」とした。
裁判長の那須裁判官は補足意見で、「学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めた以上、音楽教諭に伴奏させることは極めて合理的な選択。職務上の義務として、伴奏させることも必要な措置として憲法上許される」と述べた。
前から言ってるけど、教師であるからには、定められたやり方で式典を成功させることに尽力すべき。自分がどう思っているかは別として、決められた仕事はきっちりやる。そういう姿を生徒に見せることも教師の重要な仕事だと前々から俺は思っている。「思想・良心の自由」とカッコつけて、内実は駄々をこねて仕事をさぼっているにすぎない教師がマトモな生徒を育てることができるだろうか。
この件は入学式だったらしいが、卒業式ならなお悲惨だ。なんで自分らの卒業式のときだけ、こんな騒ぎになるのか、とめでたいムードも減退。可哀相な話となってしまう。
しかし、読売新聞のインタビューで、「テープで流すということもできたはず」というコメントしている教師もいた。それはうなづける。俺からすれば、過去の侵略がどうのと化石みたいな言説を垂れ流しとるのはバカバカしいが、十人十色、そういうへんな思想を持っている人に対する思いやりがあってもいいし、それで式典が滞りなく進むなら懸命な方法かもしれない。(うちの中学はテープだったな。)
何度も言うが、小・中の教師は、右も左も、特定の思想を植えつけたり、偏ったものの見方をさせるような教育はしないでほしい。とくに歴史。今でも紛糾していて議論が絶えないのだから、そうしたことだけでも、授業の際に児童・生徒に伝えてほしい。中国の言うとおりの人数が南京で虐殺されたのか?在日朝鮮人の1世はみな強制連行?大東亜戦争によってアジアにメリットは一つもなかった?
それぞれ意見が違うだろう。十分物事を考えられるようになってから、自分でじっくり調べ、勉強して、考えて、どの意見が正しいと思うか決めればよい。
俺が小学生だったころの教師には、「私はこう思う。しかし、こういう意見もある。皆さんも興味を持って調べてほしい」と教えてほしかった。君が代も同じ。
そういう、様々な意見が未だ存在する「世界」を見せもしないで、さも真理かのように偏った言説を子どもの頭に叩き込むこと・・・これこそ、思想・良心の自由を侵害していることにならないだろうか。
アヒト・イナザワ出演、小学館PSのCM
小学館のPSという雑誌のCM。
ぼーっと見てて、ドラムと紙芝居(?)のめくり方が小気味よいな、くらいにしか思っていなかったが、アヒト・イナザワだったとは!
よくみると確かにアヒト・イナザワだ!すげえ!
ちなみに別のPSのCMでも、VOLA & THE ORIENTAL MACHINEの曲が使われてる。
たまにCM見てると音楽がカッコイイのがあるね。SALAとかいう整髪の何かのCMで、プレイモのヴォーカルの人が歌ってたCM曲はかっこよかったな。沢尻エリカは別に好きじゃないけど。
2007年02月26日
向井秀徳アコエレを見てきた(ニッポン放送で)
向井秀徳アコースティック&エレクトリックを観賞してきた。
今日はラジオの公開録音で、応募制だった。
渋谷陽一が前説で出てきてびっくりしたんだけど、今までの企画の中では1、2を争うほどの応募数の多さだったそうで、当たってよかったな。
彼の話によると、ニッポン放送のイマジンスタジオってとこは非常に音がいいそうで、そのような点でも十分ラッキーなわけである。
会場は前が椅子席。後とサイドが立ち見。とはいえ、少人数なので大きめのライブハウスといった感じ。前座ってるからよく見える。 中央より右寄りに立っていたけど、マイクの関係でかこっちのほうをむいて歌ってくれたのはおいしかった。
今日はまさに「アコエレ」だった。
東京大学の学園祭のときは彼愛用のテレキャス一本だったんだが、今日は前半アコギ、後半青いスタインバーガーだった。あの独特のフォルムにあこがれていた俺としては実に嬉しかった。初めて音を聴けた。軽そうだった。あと、チューニングが手元で済む様はクールでスマート。やっぱいいなぁ。
曲はいつもどおりな感じだったけど、自問自答がなくて萎えた。まぁ、アコエレを見るのはまだ2回目なのでいつもどんな感じなのかはわからないけど。
しっかし、「感覚的にNG」から始まったのはびっくりした。まだZAZENバージョンでしか聴いてなかったんだけど、歌詞の内容、雰囲気からして、アコエレでやったほうがいいな、と俺は思った。向井さんの曲は、たまに雨っぽいときがあるけどこの曲もそうだな。たぶんこの先、アコエレでやることはないだろうけど、「(ウェイ)?」もそう。あの曲好きだけど、青臭すぎてきっと大人な向井さんはやってくれんだろうな。
「YOUNG GIRL SEVENTEEN SEXUALLY KNOWING」、「TATOOあり」などNUMBER GIRL時代の曲もやった。特に「TATOOあり」は原曲とは一風違う憂いを帯びた雰囲気がとてもよかった。殺傷力のある音ではないアプローチでこの曲が鳴るとこうなるのか・・・と感心。
嬉しかったのは「KU〜KI」。サビが長渕っぽいなーと思うけど、歌詞やイントロが好きなので最近よく聴いていたとこだった。が、アコエレだと長渕じゃない。「長渕」じゃなくて「向井」になってて、なおよかった。
しかも、開場が午後4時30分、ショウ終了が午後6時なので、歌詞とシンクロしている。
あとは「The Days Of NEKOMACHI」とか、「ウォーターフロント」、「KIMOCHI」など、東大で観たのと同じ感じか。「ウォーターフロント」はいいな。好き。
「KIMOCHI」のときに上にあげてもらえるのはたぶん、どう転んでも女の子だけなので悲しい。まあ上げてもらいたいわけではないけど、なんか握手とかしたいな。
それにしても一時間は短い。さっき出てきて、もう帰っちゃうの、という気持ちになる。
ステキな夕暮れ時だった。また観たい。何度でもみたい。
今度はZAZEN、観てみたいな(ライブ行ったことないので)・・・よいベーシストが見つかることを祈って。
今日はラジオの公開録音で、応募制だった。
渋谷陽一が前説で出てきてびっくりしたんだけど、今までの企画の中では1、2を争うほどの応募数の多さだったそうで、当たってよかったな。
彼の話によると、ニッポン放送のイマジンスタジオってとこは非常に音がいいそうで、そのような点でも十分ラッキーなわけである。
会場は前が椅子席。後とサイドが立ち見。とはいえ、少人数なので大きめのライブハウスといった感じ。前座ってるからよく見える。 中央より右寄りに立っていたけど、マイクの関係でかこっちのほうをむいて歌ってくれたのはおいしかった。
今日はまさに「アコエレ」だった。
東京大学の学園祭のときは彼愛用のテレキャス一本だったんだが、今日は前半アコギ、後半青いスタインバーガーだった。あの独特のフォルムにあこがれていた俺としては実に嬉しかった。初めて音を聴けた。軽そうだった。あと、チューニングが手元で済む様はクールでスマート。やっぱいいなぁ。
曲はいつもどおりな感じだったけど、自問自答がなくて萎えた。まぁ、アコエレを見るのはまだ2回目なのでいつもどんな感じなのかはわからないけど。
しっかし、「感覚的にNG」から始まったのはびっくりした。まだZAZENバージョンでしか聴いてなかったんだけど、歌詞の内容、雰囲気からして、アコエレでやったほうがいいな、と俺は思った。向井さんの曲は、たまに雨っぽいときがあるけどこの曲もそうだな。たぶんこの先、アコエレでやることはないだろうけど、「(ウェイ)?」もそう。あの曲好きだけど、青臭すぎてきっと大人な向井さんはやってくれんだろうな。
「YOUNG GIRL SEVENTEEN SEXUALLY KNOWING」、「TATOOあり」などNUMBER GIRL時代の曲もやった。特に「TATOOあり」は原曲とは一風違う憂いを帯びた雰囲気がとてもよかった。殺傷力のある音ではないアプローチでこの曲が鳴るとこうなるのか・・・と感心。
嬉しかったのは「KU〜KI」。サビが長渕っぽいなーと思うけど、歌詞やイントロが好きなので最近よく聴いていたとこだった。が、アコエレだと長渕じゃない。「長渕」じゃなくて「向井」になってて、なおよかった。
しかも、開場が午後4時30分、ショウ終了が午後6時なので、歌詞とシンクロしている。
あとは「The Days Of NEKOMACHI」とか、「ウォーターフロント」、「KIMOCHI」など、東大で観たのと同じ感じか。「ウォーターフロント」はいいな。好き。
「KIMOCHI」のときに上にあげてもらえるのはたぶん、どう転んでも女の子だけなので悲しい。まあ上げてもらいたいわけではないけど、なんか握手とかしたいな。
それにしても一時間は短い。さっき出てきて、もう帰っちゃうの、という気持ちになる。
ステキな夕暮れ時だった。また観たい。何度でもみたい。
今度はZAZEN、観てみたいな(ライブ行ったことないので)・・・よいベーシストが見つかることを祈って。
2007年02月24日
デデデデザイン
デザイン系のサークルに入りたいと思っているのだが、こぢんまりとしたウェブ・デザインのサークルにすべきか、マジな感じ×大規模×お祭っぽいサークルにすべきか、悩む。
「熱いぜー」とか言ってサークルしたいとは思わん。正直。
優勝を目指すのも、もう飽き飽きした。
一回優勝すれば立派だと思うことにしてもよい。
大人数のなかで流されないで居られるのかどうかもわからん。
大勢のうちの一人なんて誰だってイヤだよね。
そうはいっても、デカいところ入ってわざわざ「ウェーイ」って目立つ努力をする気もなければするチカラもなかろう。
ただ、小さめのサークルのほうは、ウェブ・デザイン主体ってところが気になる。もちろん、グラフィック・デザインにウェブやそれ系のソフトが必要なのはわかるが、ウェブ・デザインっつってサイト作成、とかいうことになるのは勘弁してほしい。それはまた別というか・・・
ただ、フライヤーとかポスターとかつくりてえなぁとは思うので、そういうのができそうならいいかな。
こういうとき、「6年間ずっと剣道してきました」っていう人はいいなぁって思うよな。
自分の中のコアな部分があって、それにしっかり従えばOK、みたいに。一つの道を、最後までやるっていうほうが潔いし。
まぁ、人は人だ。やりたいことをやらせてもらってきたから、文句はない。
あーでも、母に「お前に芸術的センスはない」って言われた。熱いぜ!
「熱いぜー」とか言ってサークルしたいとは思わん。正直。
優勝を目指すのも、もう飽き飽きした。
一回優勝すれば立派だと思うことにしてもよい。
大人数のなかで流されないで居られるのかどうかもわからん。
大勢のうちの一人なんて誰だってイヤだよね。
そうはいっても、デカいところ入ってわざわざ「ウェーイ」って目立つ努力をする気もなければするチカラもなかろう。
ただ、小さめのサークルのほうは、ウェブ・デザイン主体ってところが気になる。もちろん、グラフィック・デザインにウェブやそれ系のソフトが必要なのはわかるが、ウェブ・デザインっつってサイト作成、とかいうことになるのは勘弁してほしい。それはまた別というか・・・
ただ、フライヤーとかポスターとかつくりてえなぁとは思うので、そういうのができそうならいいかな。
こういうとき、「6年間ずっと剣道してきました」っていう人はいいなぁって思うよな。
自分の中のコアな部分があって、それにしっかり従えばOK、みたいに。一つの道を、最後までやるっていうほうが潔いし。
まぁ、人は人だ。やりたいことをやらせてもらってきたから、文句はない。
あーでも、母に「お前に芸術的センスはない」って言われた。熱いぜ!
2007年02月20日
勉強量=時間か?
試験期間中によく思ったことがある。
みんな、「どれくらい勉強した?」とか聞きあうことがあると思う。俺もよくやる。とくによくやる。それによって安心したり、あるいは刺激を受けたりする。
だが気になるのは、「何時間勉強した?」と聞いてくる人だ。
これはおかしいと思う。そもそも、勉強とは時間的な量で成果が計れるものではないのではないか。「4時間勉強した」といっても、その4時間、ぶっ続けで勉強していたのか、それともちょこちょこと休みを入れたのか、もしくはテレビを見つつ勉強したのか、もしかしたら、途中でウトウトしていたのか・・・人によって、あるいは場合によって違う。
特に勉強というのは往々にして誘惑や眠気との戦いになりやすいのだから、「4時間」と時間で言われても、困る。
また、4時間やって頭に残ったことが範囲のうちの25%なのか50%なのか80%なのか、わからん。
20%しか頭に残んなかったヤツの「4時間」と、80%頭に残ったヤツの「4時間」は、同じ「4時間」にして別物だろう。
そう考えると、成績の取れるヤツは「何時間勉強した?」とは聞いてこない気がしてきた。中には「昨日12時間もやっちまった」とかいってくるヤツもいるが、少なくとも他人に何時間勉強したかを聞く成績上位者はいない。
逆に、何時間かを気にする人はたいてい、「頑張ってるのに成績がとれない」という不幸な人間のようだ。
時間で勉強量をはかるというのは怖いことでもある。他の人でもあるのかどうかわからないが、3時間やろう、と決めたとたん、3時間経過することを待ってしまうというばかばかしい現象が起きる。
とくに2時間もやっていると、「あーあと1時間か」とかなんとか思って、その1時間がなんとか早くすぎねーかなーと、自分自身で決めたシバリがかえってモチベーションの低下を引き起こす。そしてなぜか、時間が過ぎるのをウダウダして待ってしまう。なんでだろう。
このような理由により、俺は時間で勉強の出来具合をはかったり、目標を定めようとすることに懐疑的だ。
でも逆に、「勉強は時間じゃない。質だ、密度だ」と思いながらアセアセと勉強しているときが一番危ないかもしれない。
「勉強は時間じゃない」という言葉が、言い訳になったらもうダメだね。
みんな、「どれくらい勉強した?」とか聞きあうことがあると思う。俺もよくやる。とくによくやる。それによって安心したり、あるいは刺激を受けたりする。
だが気になるのは、「何時間勉強した?」と聞いてくる人だ。
これはおかしいと思う。そもそも、勉強とは時間的な量で成果が計れるものではないのではないか。「4時間勉強した」といっても、その4時間、ぶっ続けで勉強していたのか、それともちょこちょこと休みを入れたのか、もしくはテレビを見つつ勉強したのか、もしかしたら、途中でウトウトしていたのか・・・人によって、あるいは場合によって違う。
特に勉強というのは往々にして誘惑や眠気との戦いになりやすいのだから、「4時間」と時間で言われても、困る。
また、4時間やって頭に残ったことが範囲のうちの25%なのか50%なのか80%なのか、わからん。
20%しか頭に残んなかったヤツの「4時間」と、80%頭に残ったヤツの「4時間」は、同じ「4時間」にして別物だろう。
そう考えると、成績の取れるヤツは「何時間勉強した?」とは聞いてこない気がしてきた。中には「昨日12時間もやっちまった」とかいってくるヤツもいるが、少なくとも他人に何時間勉強したかを聞く成績上位者はいない。
逆に、何時間かを気にする人はたいてい、「頑張ってるのに成績がとれない」という不幸な人間のようだ。
時間で勉強量をはかるというのは怖いことでもある。他の人でもあるのかどうかわからないが、3時間やろう、と決めたとたん、3時間経過することを待ってしまうというばかばかしい現象が起きる。
とくに2時間もやっていると、「あーあと1時間か」とかなんとか思って、その1時間がなんとか早くすぎねーかなーと、自分自身で決めたシバリがかえってモチベーションの低下を引き起こす。そしてなぜか、時間が過ぎるのをウダウダして待ってしまう。なんでだろう。
このような理由により、俺は時間で勉強の出来具合をはかったり、目標を定めようとすることに懐疑的だ。
でも逆に、「勉強は時間じゃない。質だ、密度だ」と思いながらアセアセと勉強しているときが一番危ないかもしれない。
「勉強は時間じゃない」という言葉が、言い訳になったらもうダメだね。
2007年02月15日
「コモン・センス」と日米関係に関する駄文
トーマス・ペイン著・小松春雄訳「コモン・センス」(岩波文庫白)読了。
ペインは非常に雄弁な男。たとえ話や比喩表現が豊かで、読んでいて飽きない。
この表紙には「歴史を動かしたまれな書物の一つと評価されている思想史の古典」とあるが、堅苦しい表現や難しい用語はほとんどないので、歴史の授業で学ぶ程度の知識でスラスラと読める。中学生でも切れ者なら読むといいかなぁ。面白いから。知らん人の名前とか、述べられている事件の前後関係などについては訳者注が丁寧につけられているから安心。
とにかく鋭い言葉の刃がとても心地よく、ズバズバと和解派を切る。「居合いで貴様を斬りつける」という気迫がある。
この気迫は、時代が生んだものだろうか。今の日本では、どんな毒舌家も雄弁家も、彼ほどの気迫と鋭角さを持って、しかも国民全体に語りかける、ということはないぽい。
その時代の空気や環境が、どうしても人の語りに限界を設けてしまうのかもしれん。
まあ原文で読んでいるわけではないので、彼自身の文章がどうなのかはわからんけども。
ペインが述べていることは何なのか、というと、まあ「アメリカはイギリスから独立すべき」ってことですよね。
独立するということは、戦争するということであり、戦争するということは、犠牲者が出るということであり、あるいはイギリスと不仲になるということであり・・・それはもう、結構な勇気のいることですね。
アメリカは(アメリカというより、「植民地」という表現を使っている。独立してないので)イギリスによって守られているという面もあった。軍隊なかったし、貿易面でもサポートを受けていた。
ところが、色々と不条理なことを押し付けられるわけですな。
イギリスは七年戦争でお金を使ってしまう。
そのお金がないので、植民地(つまりアメリカ)から巻き上げればいいじゃん、ということになる。
そんで色んな法律を押し付けられ、アメリカの人は非常に困る。暴動とか起きる。で、アメリカ人は殺される。
それでも、イギリスから庇護されることのメリットを信じ、あるいはイギリスとの和解(アメリカに対する悪法の改正とか)を夢みている輩がおる。
ペインはそいつらに論駁し、アメリカ諸州の人々を鼓舞するために「コモン・センス」を書いたわけだ。
この当時のイギリスとアメリカ植民地の関係は何かに似ている。
そう、今日のアメリカと日本。
だから、ペインの和解派に対する厳しい論駁は、そのまま盲目的な親米の連中にも言えることなんだな。
曰く、
「核の傘」だ、同盟だ、と言ってアメリカが日本の永遠の親友であり、日本が困ったときは必ず助けてくれると信じている連中にそのまま贈りたい言葉だ。
まさしくこれは日米関係にも言えないだろうか。
アメリカは金を出して戦後の日本の復興を支えた。軍事同盟によって日本に軍を置き、周辺に目を光らせた。今でもなお、世界最強の軍隊と合同できる自衛隊は幸せだと俺は思う。
しかし、そのアメリカは、果たして「お友達感覚」だったり、「親子感覚」だったりという、友情や愛情でそういうことをしてくれたかというとそうじゃない。
アメリカは常にどんなときもアメリカのために動くのであって、日本と同盟を組むのもそうした理由に過ぎない。
事情が違えばすぐ中国に寝返ることだってあるだろう。
「日本にはアメリカがいる」という発想は、ペインが問題視する和解派そのものだ。
こういうことを本気で信じている人は、「アメリカのためにアメリカの敵からわれわれを守ったこと」を考えていない。
ということは、あるとき突然、アメリカは日本を見限るかもしれん。日本と同盟を組むことが、彼らのNO.1の地位を保つのに必要ないとなればそうなる。今の微妙な国際社会では何が起こるかわかりませんものね。
俺たち日本はそんなアメリカのコマでいいのか、ということをもう少し日本人は考えたほうがいいだろう。
もちろん、英米の当時の関係と違って、今すぐ日米の関係を断絶すべきだ、という話にはならない。
今すぐ戦争しろとかいうことでもない。
しかし、アメリカ頼みの国防はいつか絶対破綻するのは目に見えている。世界で最も利己的な国家に、同盟というだけで永遠に守ってもらおうというのはちょっと夢物語すぎる。
また、ペインは、子どもを持っているにも関わらず、父親が「私の生きている間は平和な世の中であってほしい」と言ったことを厳しく批難している。
子を持つ男の願いは、その子どもが将来苦労しないことではないのか。父親は、自分の平和のみを考え、子どもの平和を考えないような男であってはならん、子どもの将来の平和、財産のために戦う覚悟がいるのではないか、と。
これももっともだ。国家のため、というより、後に生まれる子どもたちのために、今の問題を取り除き、平和を残してあげたい。
子どもたちの代になってもアメリカは日本を守ってくれるだろうか・・・?というのん気な気持ちでいいのか。
子どもの、将来の財産や平和までアメリカの手に委ねてしまおうというのがこの国の今であり、それを是とするのがこの国の父親たちなのではないだろうか。
と、つらつら考えたのだが、行き着くところは、結局、アメリカが独立するか否かというのが大問題だった当時と違い、今の日本があまりに平和ボケしているということ。
眞鍋かをりが出馬するとかしないとか、そんなことはどうでもいいですよ・・・・・・
ペインは非常に雄弁な男。たとえ話や比喩表現が豊かで、読んでいて飽きない。
この表紙には「歴史を動かしたまれな書物の一つと評価されている思想史の古典」とあるが、堅苦しい表現や難しい用語はほとんどないので、歴史の授業で学ぶ程度の知識でスラスラと読める。中学生でも切れ者なら読むといいかなぁ。面白いから。知らん人の名前とか、述べられている事件の前後関係などについては訳者注が丁寧につけられているから安心。
とにかく鋭い言葉の刃がとても心地よく、ズバズバと和解派を切る。「居合いで貴様を斬りつける」という気迫がある。
この気迫は、時代が生んだものだろうか。今の日本では、どんな毒舌家も雄弁家も、彼ほどの気迫と鋭角さを持って、しかも国民全体に語りかける、ということはないぽい。
その時代の空気や環境が、どうしても人の語りに限界を設けてしまうのかもしれん。
まあ原文で読んでいるわけではないので、彼自身の文章がどうなのかはわからんけども。
ペインが述べていることは何なのか、というと、まあ「アメリカはイギリスから独立すべき」ってことですよね。
独立するということは、戦争するということであり、戦争するということは、犠牲者が出るということであり、あるいはイギリスと不仲になるということであり・・・それはもう、結構な勇気のいることですね。
アメリカは(アメリカというより、「植民地」という表現を使っている。独立してないので)イギリスによって守られているという面もあった。軍隊なかったし、貿易面でもサポートを受けていた。
ところが、色々と不条理なことを押し付けられるわけですな。
イギリスは七年戦争でお金を使ってしまう。
そのお金がないので、植民地(つまりアメリカ)から巻き上げればいいじゃん、ということになる。
そんで色んな法律を押し付けられ、アメリカの人は非常に困る。暴動とか起きる。で、アメリカ人は殺される。
それでも、イギリスから庇護されることのメリットを信じ、あるいはイギリスとの和解(アメリカに対する悪法の改正とか)を夢みている輩がおる。
ペインはそいつらに論駁し、アメリカ諸州の人々を鼓舞するために「コモン・センス」を書いたわけだ。
この当時のイギリスとアメリカ植民地の関係は何かに似ている。
そう、今日のアメリカと日本。
だから、ペインの和解派に対する厳しい論駁は、そのまま盲目的な親米の連中にも言えることなんだな。
曰く、
しかしある者は、イギリスはわれわれを守ってくれたと主張している。イギリスがわれわれを独占してきたことは確かである。また身銭を切るとともにわれわれの金をも使って、大陸を守ってきたことも否定しない。だが同じ動機から、すなわち貿易や領有のためならトルコをも守っただろう。
ああ!長い間われわれは昔ながらの偏見に支配され、また迷信にとらわれて大きな犠牲を払ってきた。イギリスがわれわれを守った動機が愛情ではなくて打算であることを考えもしないで、またイギリスはわれわれのためにわれわれの敵から守ってくれたのではなく、イギリスのためにイギリスの敵からわれわれを守ったことを考えもしないで、その保護を誇りにしてきた。
「核の傘」だ、同盟だ、と言ってアメリカが日本の永遠の親友であり、日本が困ったときは必ず助けてくれると信じている連中にそのまま贈りたい言葉だ。
まさしくこれは日米関係にも言えないだろうか。
アメリカは金を出して戦後の日本の復興を支えた。軍事同盟によって日本に軍を置き、周辺に目を光らせた。今でもなお、世界最強の軍隊と合同できる自衛隊は幸せだと俺は思う。
しかし、そのアメリカは、果たして「お友達感覚」だったり、「親子感覚」だったりという、友情や愛情でそういうことをしてくれたかというとそうじゃない。
アメリカは常にどんなときもアメリカのために動くのであって、日本と同盟を組むのもそうした理由に過ぎない。
事情が違えばすぐ中国に寝返ることだってあるだろう。
「日本にはアメリカがいる」という発想は、ペインが問題視する和解派そのものだ。
こういうことを本気で信じている人は、「アメリカのためにアメリカの敵からわれわれを守ったこと」を考えていない。
ということは、あるとき突然、アメリカは日本を見限るかもしれん。日本と同盟を組むことが、彼らのNO.1の地位を保つのに必要ないとなればそうなる。今の微妙な国際社会では何が起こるかわかりませんものね。
俺たち日本はそんなアメリカのコマでいいのか、ということをもう少し日本人は考えたほうがいいだろう。
もちろん、英米の当時の関係と違って、今すぐ日米の関係を断絶すべきだ、という話にはならない。
今すぐ戦争しろとかいうことでもない。
しかし、アメリカ頼みの国防はいつか絶対破綻するのは目に見えている。世界で最も利己的な国家に、同盟というだけで永遠に守ってもらおうというのはちょっと夢物語すぎる。
また、ペインは、子どもを持っているにも関わらず、父親が「私の生きている間は平和な世の中であってほしい」と言ったことを厳しく批難している。
子を持つ男の願いは、その子どもが将来苦労しないことではないのか。父親は、自分の平和のみを考え、子どもの平和を考えないような男であってはならん、子どもの将来の平和、財産のために戦う覚悟がいるのではないか、と。
これももっともだ。国家のため、というより、後に生まれる子どもたちのために、今の問題を取り除き、平和を残してあげたい。
子どもたちの代になってもアメリカは日本を守ってくれるだろうか・・・?というのん気な気持ちでいいのか。
子どもの、将来の財産や平和までアメリカの手に委ねてしまおうというのがこの国の今であり、それを是とするのがこの国の父親たちなのではないだろうか。
と、つらつら考えたのだが、行き着くところは、結局、アメリカが独立するか否かというのが大問題だった当時と違い、今の日本があまりに平和ボケしているということ。
眞鍋かをりが出馬するとかしないとか、そんなことはどうでもいいですよ・・・・・・
2007年02月13日
アンパンマンは誰だ
俺はガキのころからあんまりアンパンマンが好きじゃない。
理由はうちのママンが嫌いだから。俺に見せなかった。アンパンマンというアニメを。
なんで嫌いなのかきいてみたところ、「偽善っぽいから」との回答が。
そうだよね!
つーか、最終的にやなせたかしが創価だと知ってもう、あの偽善者ぶった暴君アンパンマンが嫌いで嫌いで仕方がねぇえ!
だいたいバイキンマンそんな悪いことしとらんもん。
ドキンちゃんが腹減ったとか、なんかしたいとか言って、バイキンマンさんはそういう下らん女子の要望に応えようとしとるだけよ。
まあ例外もあるようだが。
それに対してね、アンパンマンってのはこれ、鉄拳制裁ですよ。
だいたいアンパンマンはあんまり殴られたりしない。避けられるから。
下手すりゃバイキンマンが手加減してるかもしれん!
で、殴られてもさ、頭へこむだけじゃん。たまに水かけられるだけだったりするし。しかも、アバズレバタ子がすぐ首つけかえてくれるじゃん。
それに対してアンパンマンの鉄拳は常時フルパワーじゃないすか。すごいスピードで飛んでくじゃないすかバイキンマン。
ときに食の野郎とカレーの野郎と組んで、三人がかりじゃないすか。もうこうなると完全にイジメですよ。
たとえばね、釜飯作れってだけの話で、ぼっこぼこにされて吹っ飛ばされるって、これどうなの?
つーか司法の手にはゆだねないの?
つーか、司法、あるの?
あったら悪質だよねアンパンマン。「俺が法」みたいな顔してるもんね。
あつかましい。実にあつかましい。
アンパンマン、彼の笑顔には空寒いものを感じる。
何しろ、「愛と勇気だけが友だち」なんだもんね。絶対おかしいよ。
あんなまるっこい顔して、本当は人間の友だち一人もおらんって。
人間の友だちがいない。
人間とやっていけない。
これではいくら愛と勇気がそいつと仲良くしてくれようとも、社会では生きていけんのですよ。
これはパオロ・マッツァリーノ先生のお言葉です。
ということで、パオロ先生の第三作目、「つっこみ力」がちくま新書で出ました。
俺が今、思想的に誰かの信者にならずに済んでいるのも彼のおかげ。
たぶん面白いから(まだ読んでないけど)皆さん読んでください。
俺もこれから買いに行ってきます。
(アンパンマンとパオロ先生の間にはなんら関連性はありません)
理由はうちのママンが嫌いだから。俺に見せなかった。アンパンマンというアニメを。
なんで嫌いなのかきいてみたところ、「偽善っぽいから」との回答が。
そうだよね!
つーか、最終的にやなせたかしが創価だと知ってもう、あの偽善者ぶった暴君アンパンマンが嫌いで嫌いで仕方がねぇえ!
だいたいバイキンマンそんな悪いことしとらんもん。
ドキンちゃんが腹減ったとか、なんかしたいとか言って、バイキンマンさんはそういう下らん女子の要望に応えようとしとるだけよ。
まあ例外もあるようだが。
それに対してね、アンパンマンってのはこれ、鉄拳制裁ですよ。
だいたいアンパンマンはあんまり殴られたりしない。避けられるから。
下手すりゃバイキンマンが手加減してるかもしれん!
で、殴られてもさ、頭へこむだけじゃん。たまに水かけられるだけだったりするし。しかも、アバズレバタ子がすぐ首つけかえてくれるじゃん。
それに対してアンパンマンの鉄拳は常時フルパワーじゃないすか。すごいスピードで飛んでくじゃないすかバイキンマン。
ときに食の野郎とカレーの野郎と組んで、三人がかりじゃないすか。もうこうなると完全にイジメですよ。
たとえばね、釜飯作れってだけの話で、ぼっこぼこにされて吹っ飛ばされるって、これどうなの?
つーか司法の手にはゆだねないの?
つーか、司法、あるの?
あったら悪質だよねアンパンマン。「俺が法」みたいな顔してるもんね。
あつかましい。実にあつかましい。
アンパンマン、彼の笑顔には空寒いものを感じる。
何しろ、「愛と勇気だけが友だち」なんだもんね。絶対おかしいよ。
あんなまるっこい顔して、本当は人間の友だち一人もおらんって。
人間の友だちがいない。
人間とやっていけない。
これではいくら愛と勇気がそいつと仲良くしてくれようとも、社会では生きていけんのですよ。
人を愛さず、モノばかり愛してどうしようってんです。フィギュアしか愛せないオタクを、キモいとみなさんおっしゃいます。でも、正義だの国だのしか愛せない人も同類ですよ。人を愛せないフェチを増やしたところで、それで学力低下やいじめ問題が解決するはずがありません。
これはパオロ・マッツァリーノ先生のお言葉です。
ということで、パオロ先生の第三作目、「つっこみ力」がちくま新書で出ました。
俺が今、思想的に誰かの信者にならずに済んでいるのも彼のおかげ。
たぶん面白いから(まだ読んでないけど)皆さん読んでください。
俺もこれから買いに行ってきます。
(アンパンマンとパオロ先生の間にはなんら関連性はありません)
2007年02月09日
いじめ、かっこわるい
ちょっとしたことがきっかけで、大勢の人から小突かれ、罵倒され、謝っても謝っても許してもらえず、周りは敵ばかりで、しまいには追い出されそうになる、
といういじめが国会で起こっているわけだが、これでは子どもの間で起こるいじめもなくなるわけなかろうよ。
いじめられている子どもの行動というのは得てして、周りの子どもに全否定されるもので、一回いじめるきっかけがつかめればあとは悪いことしなくても如何様にもいじめの口実は見つけられる。
というか、見つけてすらいないよな。 「ナントカ菌がうつるぞ」というのはその典型であり、あるいはなんかしゃべると「ブタがしゃべった」とか「菌がしゃべった」とか、まあそんな感じだろう。
こうして、いじめのターゲットが生きて学校に来れば、みんなしてとりあえず罵倒するという体勢になる。
そういうことなので、何も考えずとも、ターゲットが何か喋るたびにそれにいちゃもんつければ仕事のはかどる(ホントははかどってないけど)という素晴らしい状態に、今、野党は、ある。
国民の大部分は、もうこのいじめのごとき野党の失言追及に飽き飽きしてんじゃないの?
そんなことじゃいつまでたっても、政権は創価学会の手中だよ、野党。別に政権とらなくていいけどね。
といういじめが国会で起こっているわけだが、これでは子どもの間で起こるいじめもなくなるわけなかろうよ。
いじめられている子どもの行動というのは得てして、周りの子どもに全否定されるもので、一回いじめるきっかけがつかめればあとは悪いことしなくても如何様にもいじめの口実は見つけられる。
というか、見つけてすらいないよな。 「ナントカ菌がうつるぞ」というのはその典型であり、あるいはなんかしゃべると「ブタがしゃべった」とか「菌がしゃべった」とか、まあそんな感じだろう。
こうして、いじめのターゲットが生きて学校に来れば、みんなしてとりあえず罵倒するという体勢になる。
そういうことなので、何も考えずとも、ターゲットが何か喋るたびにそれにいちゃもんつければ仕事のはかどる(ホントははかどってないけど)という素晴らしい状態に、今、野党は、ある。
国民の大部分は、もうこのいじめのごとき野党の失言追及に飽き飽きしてんじゃないの?
そんなことじゃいつまでたっても、政権は創価学会の手中だよ、野党。別に政権とらなくていいけどね。